この記事を書いているのは9月の下旬。
秋らしい空気も感じつつも夏の暑さがまだ冷めることがないような秋モードに中々させてくれない日ごろです。
若干まだ夏が残りつつも秋へどんどん流れていると思うのですが、この夏〜秋に"蟲"の音に何か大きな影響を受けたような気がして何か動かされたものがありました。
"虫"と"蟲"は同じ"むし"と読むのですが、これらの違いを調べて見たら蟲は昆虫を含め爬虫類や魚類等も含む広く生物を指すようです。
我々人間はこの中には含まれないのですが、この夏に山や森などへゆき途方もない生命体たちが飛び交ったり蠢いたり、姿形は見えぬがその鳴き声がどこまでも響き渡っているのを暑さの中体感しました。
この生命の演舞にどこか身を委ねていると生命の潔さ、残酷さを思い知らされた気持ちになりました。日々人として社会の中に生きていて個人的なことも考えながら暮らしているのですが、自然の大きな流れに勿論自分もいてその中ではもはや無力なのではないのかと思ってしまいました。
真夏に盛んに鳴いている蝉もやがてその死骸が無残にも転げ落ちていたり轢かれたりするのをよく見かける。8月終わり9月頭くらいから秋の虫の涼しげな鳴き声も聞こえて来る中、里山や森へ入るとまだミンミンとなく蝉の音が聞こえて来る。
日々多くの虫と触れ合ってるのでしょうが夏の蝉の"生"をリアリティに感じて儚く迫って来るものがありました。根元的に僕も蝉と同じ無情な生きる過程を描いているのだと感じます。
そんな感じで蟲の生態だったり音だったりから生々しくも"生きる"ということを実感した夏だったな。
そんな蟲からドラマだったり何かストーリーを求めたくなるのが僕ら音楽とかをやっている人間たちなのです。
蟲笛-tanutanu's
ではここまで読んでいただきありがとうございました。
tanutanu
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